多くの人が一度は夢見る「好きなことを仕事にする」という選択。私もそうでした。デザインの専門学校を卒業し、憧れだったクリエイティブ業界へ飛び込んだ時、私は希望に満ち溢れていました。徹夜続きの仕事も、週末返上のプロジェクトも、「これがやりがいだ」と信じて疑いませんでした。しかし、毎月届く給料明細と、日に日に疲弊していく自分の心と体は、静かに、そして確実に私に問いかけてきました。「本当にこれでいいのか?」
アカリ(28歳、仮名)も、まさにその渦中にいました。彼女は幼い頃からの夢だった動物保護のNPOで働いています。「動物たちの命を救う」という崇高な使命感に燃え、ボランティア活動からそのまま職員になりました。残業は当たり前、休日出勤も頻繁。給料は手取りでやっと生活できるレベル。「でも、大好きな動物のためだから」「やりがいがあるから」そう自分に言い聞かせ、薄給と激務を耐え忍んできました。
ある日、アカリは深夜のオフィスで、ふと自分の銀行口座残高を見て愕然としました。来月の家賃を払ったら、手元に残るのは雀の涙ほど。友人の結婚式に呼ばれても、ご祝儀や交通費を考えると「行けない」と断るしかない自分が情けなくて、涙が止まりませんでした。「このままでは、大好きな動物のために働くどころか、自分自身の生活すら破綻してしまう…」。心の奥底から湧き上がる絶望感が、彼女の全身を支配しました。「なぜ私だけがこんな思いをしているんだろう?」「この仕事を選んだのは間違いだったのか?」
彼女は、まるで「枯渇する泉」に縋りついているようでした。最初は生命の源だと信じていた「やりがい」という名の水が、汲めども汲めども減り続け、やがて底が見え、心はカラカラに乾ききってしまったのです。周囲からは「良い仕事だね」「やりがいがあって羨ましい」と言われるたび、胸を締め付けられるような苦しさを感じていました。誰も、彼女の内なる悲鳴に気づいてくれません。このままでは、本当に大好きな動物を守る力も、自分自身の未来を切り開く力も失ってしまう。そんな焦燥感と無力感が、アカリの心を深く蝕んでいました。
「やりがい」という言葉は、時に私たちを強く支え、時に私たちから全てを奪い去る諸刃の剣です。特に、その言葉が低賃金や長時間労働を正当化する「鎖」として使われる時、私たちはその「甘い毒」に気づかなければなりません。本当に大切なのは、あなたの情熱が正当な対価によって報われ、持続可能な形で輝き続けること。あなたの「好き」が、あなたの人生を豊かにする力になることです。
この状況から抜け出すためには、まず「自分自身の価値」を客観的に見つめ直す勇気が必要です。あなたのスキルや経験は、市場でどれくらいの価値があるのか?あなたが提供している労働は、本当にその対価に見合っているのか?感情論ではなく、事実に基づいた冷静な分析が、最初の第一歩となるでしょう。そして、その価値を正当に評価してくれる場所を探し、自らの手で未来を切り開く決断をすること。それは決して「好きなことを諦める」ことではありません。むしろ、「好き」を持続可能な形で守り抜くための、最も賢明な選択なのです。