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高速道路の仕事は本当に「きつい」?3年目で限界を感じた私が今、伝えたいこと

深夜2時の料金所。蛍光灯の白い光が、私の疲れ切った顔を無慈悲に照らし出す。

ブースの小さな窓から見える高速道路は、深い闇の中でただ赤いテールランプが流れていくだけ。ふと、窓ガラスに映った自分の顔を見て、私は思った。

「この仕事、本当に自分にできるんだろうか…」

高速道路の仕事に就いて3年。「社会インフラを支える、やりがいのある仕事」だと信じて入社したはずなのに、今の私は毎日のように「もう限界かもしれない」という思いに駆られていた。

もしあなたが今、高速道路関連の仕事を検討していたり、すでに働いていて「きつい」と感じているなら、この記事はあなたのために書いた。私自身が経験した「本当のきつさ」、そしてそれをどう乗り越えたのか、包み隠さずお話ししたい。


「やりがいだけで乗り切れる」と信じていた、入社前の私

高速道路の仕事に応募したのは、大学を卒業した年の秋だった。

就職活動で50社近く落ち続け、自分に何ができるのか分からなくなっていた頃。友人の父親が高速道路会社で働いていて、「社会貢献度が高くて、安定してるぞ」と勧められたのがきっかけだった。

面接で人事担当者が言った言葉が、今でも耳に残っている。

「この仕事は確かに厳しい。でも、日本中の人々の安全を守る、誇りある仕事です」

その時の私は、完全にその言葉に魅了された。「やりがいさえあれば、どんなきつさも乗り越えられる」──そう信じて疑わなかった。

でも、それは大きな勘違いだった。


配属初日の衝撃:想像と現実のギャップ

交通管理隊員として配属が決まった私は、研修を終えて初めて現場に立った日のことを、今でも鮮明に覚えている。

夏の高速道路が、地獄だった理由

7月の午後2時。アスファルトから立ち上る陽炎が、視界を歪ませる。

体感温度は50度を超えているはずだ。オレンジ色の作業着は太陽の熱をすべて吸収し、背中からは滝のように汗が流れ落ちる。ヘルメットの中は蒸し風呂状態で、息をするたびに熱風が肺に入り込んでくる。

先輩の声が無線から響く。

「新人、ぼーっとするな!トラックが来てるぞ!」

ハッと我に返り、規制棒を構える。時速80キロで迫ってくる大型トラックの風圧が、全身を揺さぶる。間近を通過する轟音で、一瞬耳が聞こえなくなった。

これが、私が夢見た「社会貢献」の現実だった。

研修では「夏は暑く、冬は寒い」と説明されていた。でも、頭で理解することと、実際に体験することは、まるで別物だった。

その日、私は4リットルの水を飲み、それでも脱水症状でふらついた。家に帰り着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。シャワーを浴びる気力すら残っていなかった。


「24時間体制」が意味する、本当の過酷さ

入社して半年が過ぎた頃、私は夜勤メインのシフトに組み込まれた。

狂い始めた生活リズムと、失っていく日常

月曜の朝9時出勤。火曜の夜勤。水曜は休み。木曜は早朝5時出勤…。

カレンダーを見ても、もう自分が今週の何曜日に生きているのか分からなくなっていた。

一番つらかったのは、孤独だった。

友人たちは週末に集まり、笑い声をSNSにアップしている。でも私は日曜の深夜、誰もいない管制室でモニターを見つめている。

恋人とは「会えない」という理由で別れた。彼女は最後にこう言った。

「あなたといると、私まで時間の感覚がおかしくなりそう」

その言葉が、胸に突き刺さった。


限界を感じた、あの事故現場

転機は、入社2年目の冬に訪れた。

深夜3時の緊急出動──目の前で起きた悲劇

仮眠室で横になっていた時、突然の呼び出しアラームが鳴り響いた。

「〇〇トンネル手前で多重衝突事故。全員出動!」

眠気は一瞬で吹き飛んだ。装備を身につけ、緊急車両に飛び乗る。

現場は、想像を絶する光景だった。

5台の車が折り重なるように衝突し、一台からは黒い煙が上がり始めている。ガラスの破片が道路一面に散乱し、エンジンオイルが流れ出ている。

そして──血の匂い。

先輩たちは慣れた様子で負傷者の救護に当たっている。でも私は、足が震えて動けなかった。

一台の車の中で、若い女性が泣き叫んでいる。助手席には動かない男性が──

「何してる!早く誘導灯を置け!」

先輩の怒号で、我に返る。震える手で誘導灯を設置し、後続車両を誘導し始めた。

でも、頭の中は真っ白だった。

事故処理が終わったのは、夜明け前。帰りの車の中で、私は初めて現場で涙を流した。


「自分だけがきついと感じているのか」という地獄

その事故の後、私は明らかに変わってしまった。

誰にも言えない不安と、追い詰められていく日々

夜勤に入ると、あの事故現場の光景がフラッシュバックする。車のクラクションの音を聞くだけで、心臓がバクバクと脈打つ。

でも、周りの先輩たちは何事もなかったように働いている。

「もしかして、自分だけがこんなに弱いのか…?」

その思いが、私をさらに追い詰めた。

誰にも相談できなかった。「きつい」と口にすれば、「根性がない」と思われるのではないか。「もう無理だ」と言えば、「社会人失格」の烙印を押されるのではないか。

朝、目が覚めても布団から出られない日が増えた。休日も何をする気力もなく、ただぼんやりとテレビを見ているだけ。

母から電話がかかってきた。

「最近、声に元気がないけど、大丈夫?」

「大丈夫だよ」と答えたが、その言葉が嘘だと自分でもわかっていた。


転機となった、先輩の一言

そんな私を救ってくれたのは、意外な人物だった。

「きついと感じるのは、当たり前なんだ」

ある日の休憩時間、いつも厳しい先輩が珍しく話しかけてきた。

「最近、顔色悪いな。無理してないか?」

私は思わず、溜め込んでいたものを吐き出した。

事故現場のことが忘れられないこと。夜勤のたびに不安になること。でも、それを誰にも言えなかったこと──

先輩は静かに聞いていた。そして、こう言った。

「俺も、最初の3年は毎日やめようと思ってた」

え?あのベテランの先輩が?

「この仕事がきついのは、当たり前なんだよ。きついと感じない方がおかしい。人間の命を預かる仕事なんだから」

その言葉を聞いた瞬間、何かが変わった。

私は「きつい」と感じていいんだ。それは弱さじゃなくて、人間として当然の反応なんだ──

涙が止まらなくなった。


「きつさ」と向き合う、具体的な3つの戦略

その日を境に、私は自分の「きつさ」から逃げるのではなく、向き合うことにした。

戦略1:「自分の限界サイン」を知る

まず始めたのは、自分の心身の状態を記録することだった。

毎日、簡単なメモをつける。

  • 今日の疲労度(10段階)
  • 睡眠時間
  • 精神状態
  • どんな時にストレスを感じたか

2週間続けると、パターンが見えてきた。

連続夜勤3日目で必ず体調を崩す。事故対応の翌日は精神的に不安定になる。休日が1日だけだと回復しきれない──

このデータをもとに、上司に相談した。

「夜勤は2日連続までにしてもらえませんか。3日目からパフォーマンスが明らかに落ちるんです」

上司は意外にも、すぐに対応してくれた。「お前が言ってくれなきゃ、わからなかった」と。

戦略2:「15分の聖域」を死守する

どんなに忙しくても、1日に15分だけは「完全に仕事を忘れる時間」を作ると決めた。

私の場合は、車の中で好きな音楽を大音量で聴く時間。スマホは機内モード。誰にも邪魔されない、自分だけの時間。

たった15分。でも、この15分があるかないかで、1日の疲労度が全く違った。

戦略3:「未来の自分」のためのスキル投資

「この仕事を続けるにしても、転職するにしても、自分の市場価値を高めておこう」

そう決めて、危険物取扱者の資格を取得した。週末の図書館で勉強し、半年後に合格。

不思議なことに、資格取得という「別の目標」ができたことで、日々の仕事への向き合い方が変わった。

「今日も一日きつかった」ではなく、「今日も一日、成長できた」と思えるようになった。


それでも「もう無理だ」と感じたら──転職という選択

正直に言う。この戦略でも「きつさ」が完全になくなるわけではない。

むしろ、しっかり向き合ったからこそ、「自分にはこの仕事は向いていない」と気づく人もいるだろう。

それは、決して逃げではない。

私の同期が選んだ道

入社同期の田中は、2年目で転職を決めた。

彼は交通管理隊から、物流会社の運行管理部門へ転職した。高速道路での経験と知識が評価され、未経験でも管理職候補として採用されたという。

「高速道路の仕事で学んだ『危機管理能力』と『冷静な判断力』は、どこでも通用するよ」

彼は今、規則正しい生活を送りながら、家族との時間も大切にしている。

別の同期は、建設会社の安全管理部門へ。また別の同期は、警備会社の教育担当へ。

みんな、高速道路での経験を活かして、新しいフィールドで活躍している。


3年間で学んだ、本当に大切なこと

今、あの深夜2時の料金所で泣きそうになっていた自分を振り返ると、伝えたいことがある。

「きつい」は、決して恥ずかしいことじゃない

高速道路の仕事がきついのは、紛れもない事実だ。

不規則な勤務。極限の気候。常に隣り合わせの危険。そして、人命を預かる重圧──

でも、それを「きつい」と感じるのは、あなたが人間として正常に機能している証拠だ。

むしろ、何も感じなくなったら、それこそ危険なサインかもしれない。

この仕事で得られる、かけがえのないもの

一方で、この仕事には他では得られない価値もある。

深夜の事故現場で、必死に働いた後。ドライバーから「ありがとう、あなたたちのおかげで助かった」と言われた時。

その一言が、すべての「きつさ」を報われたものに変えてくれる瞬間がある。

仲間と協力して困難を乗り越えた時の達成感。命を守るという使命を全うした時の誇り。

これらは、お金では買えない、人生の財産だ。


あなたへのメッセージ:後悔しない選択をするために

もしあなたが今、「高速道路の仕事はきついのかな」と不安に思っているなら、こう伝えたい。

きつい。間違いなく、きつい。

でも、それでも挑戦する価値はある。

もしあなたが今、高速道路の仕事に就いていて「もう限界だ」と感じているなら、こう伝えたい。

その感情は、正しい。無視しないで。

でも、諦める前に、一度立ち止まって考えてみてほしい。

  • 本当に「仕事そのもの」がきついのか、それとも「今の環境」がきついのか
  • 改善できる余地はないか
  • 誰かに相談したか
  • 自分の心身の声に、ちゃんと耳を傾けているか

そして、もし本当に転職を決めたなら、それも立派な決断だ。

高速道路の仕事で培った能力は、必ず次のステージで活きる。


最後に──3年前の自分へ

もし今、タイムマシンで3年前の料金所に戻れるなら、あの時の自分にこう言ってあげたい。

「大丈夫。きついと感じるのは、あなたが弱いからじゃない」

「今は真っ暗に見えるかもしれないけど、必ず朝は来る」

「そして、この経験は、あなたを確実に強くする」

今のあなたがどんな状況にいても、どんな選択をしても、それはあなたの人生だ。

大切なのは、後悔しない選択をすること。

この記事が、あなたの一歩を踏み出す勇気になれば、これ以上嬉しいことはない。


あなたの経験もぜひ教えてください

高速道路の仕事で「きつい」と感じたこと、それを乗り越えた工夫、あるいは転職して良かったこと──あなたのリアルな声を、コメント欄で共有してください。

あなたの一言が、同じ悩みを持つ誰かの希望になるかもしれません。